Profile

【名前】

杉内壮也 a.k.a.KATAKIN


【仕事】

高知の求人メディア「ツナカン」編集長

はりまや橋ゲストハウス店主(2018年1月〜)

フリーライター

イベント主催

初級アフィリエイター


【趣味】

洋服・ドライブ・洋楽・日本語ラップ・読書・ランニング


【経歴・実績】

株式会社ツナグ・ソリューションズ(求人広告原稿制作)

高知県中小企業図鑑の制作協力

クラウドワークス認定プロクラウドワーカー

イケダハヤト有料マガジン・短期連載

大手求人サイト『DODA』原稿制作協力

大手求人サイト『エン・ジャパン』原稿制作協力

高知市消防団ポスター制作協力(キャッチコピー)

在宅ワーク個別レッスン

クラウドファンディング

略歴

1989/09 誕生

1996/00 両親離婚

2000/00 日本語ラップに出会う

2008/00 母親、自己破産

2010/00 父親、自己破産


2011/10 東京へ

2013/04 ガン発覚(23歳)

2013/05 手術→KATAKIN

2013/10 抗ガン剤治療を終え退院

2014/03 農業で独立(失敗)


2015/09 クラウドワークス開始

2015/10 ノリで独立

2016/03 イケハヤ有料マガジンにて

     『父を訪ねて』連載

2016/04 プロクラウドワーカー認定

2016/07 クラウドワーカー交流会開始

2016/10 クラウドファンディング開始

     クラウドワークスのメディア掲載

2016/11 クラファン失敗

2017/09 求人メディア「ツナカン」公開

2018/01 はりまや橋ゲストハウスの運営スタート


これまでの歩み


1989年9月生まれ、高知県高知市育ち。名前の由来は、睾丸が一つしかないから。理由は後ほど。

小5で日本語ラップに出会う

高知市の北部にある正蓮寺という山の上で育ちました。もちろん、周りにはコンビニやスーパーがありません。あったとしても、せいぜい個人商店ぐらいのもの。自宅から小学校まで約2.5kmの道のりを徒歩で30分かけて通学。


この時点で、「相当な田舎」だということが伝わると思いますが、車で15分ほど山を下れば、普通に高知市の中心地までたどり着けます。




小学2年生の頃に両親が離婚。父親は別の家へ引っ越すことになりました。さらに4つ上の兄は、非行に走り施設へ。病院勤めだった母親も月に8回ほど夜勤へ出かけます。


その結果、「家にいるのは僕一人」という状況が結構ありました。そんな僕を救ってくれたのが、日本語ラップです。

小学5年生の頃、ZEEBRAに出会って、エネルギーをもらっていました。


最初に聴いた曲は、『Mr.DYNAMITE』。


「一点突破、行くぜHIP HOPPER!」

この気持ちは、今でも大事にしています。


この曲を完コピして、学校の帰り道に、口ずさんでいたのを覚えていますね。何しろ、道のりが2.5kmもあるので、暇つぶしにはちょうど良いんですよ(笑)

高知のFラン高校出身ですが何か?

僕の出身高校は、高知にある北高校というところ。定時制高校で、制服はありません。「授業は自分で選択する」という大学生じみたことをやっていましたが、極めて低レベルの高校です。


入学してから思ったことは、ヤンキーが多いということ。僕と同い年の人たちは、かなり落ち着いていましたが、上の学年の人たちは相当やばそうな方達でした。

※僕の同学年は、学校の方針が変わったせいで、引きこもり系が多かった。


普通の高校なら、年上と言ってもせいぜい2つ上までだと思います。留年したとしても「3つ上」がいるっていう程度でしょう。


ただ、うちの高校は定時制なので、そういうわけにはいかないんですよ。普通に5つ上とか6つ上とかのヤンキーがいます。中には30歳の人もいました。


ちなみに下の写真の一番右で大股を開いているのが僕ですね。ここに写っているのは、基本的に優しい人たちです。「なんちゃって陸上部」のメンバー。これでも一応、全国大会に行って、国立競技場で走ってます。(ボルトが走った場所)

神戸大学を志すが....

年上の先輩たちがみんな卒業してしまい、暇を持て余していた高校4年生の頃。僕は弁護士を目指そうと「神戸大学」への受験を志します。まるでビリギャルみたいな展開ですね(笑)

※遅刻が多かったので、単位が足りずに3年間で卒業できませんでした。


神戸大学への受験を目指し、猛勉強に励む日々でしたが、母親が自宅のローンを払えずに自己破産することが決定してしまいました。本当は父親が払わなければいけないのですが、クソ親父なのでこのあたりはスルーします。


親父について知りたい方は、こちらをご覧ください。

http://www.katakin.net/posts/categories/233918


母親の自己破産によって、予備校に通う計画が白紙になり、もう面倒くさくなったので大学は諦めました。


その数年後に、父親も自己破産したようですが、別居しているので僕には関係ありません。

KATAKIN vs 東京

無事に成人を迎え、適当にフリーター生活を送っていましたが、22歳のときに東京へ行くことになります。理由は、中学生の頃からの憧れだったから。まぁ、田舎者特有のやつですよ(笑)東京がキラキラ輝いて見えるのは。


東京では、不動産売買の仲介業や求人広告の仕事とかを経験しました。この求人広告の仕事が今になって役立っていますね。文章を書く仕事に就いたのは、これが初めてですが、文章を書くのは高校生の頃から好きだったので、この仕事に巡り合えてよかったと思っています。


しかし、求人広告の仕事をはじめて、半年が経ったときに、ガンが発覚してしまいました。このときの僕は、まだ23歳。「まさか自分がガンになるとは......」って、今でも思うっています。

KATAKIN、敗北!高知へ帰る。

さすがに東京で入院する余裕はなかったので、高知へ帰ることになりました。ここから半年間の抗がん剤治療がはじまるのです。


髪の毛が抜け落ちたり、味覚障害が現れたり。まぁ、副作用はいろいろですが、一番最悪だったのは、肌がボロボロになったことですね。髪の毛はまた生えてくるので、それほど気になることはなかったです。


ちなみにガンの名称は、「精巣腫瘍」。要するに睾丸のガンですね。だから僕は1つ摘出して、名前がKATAKINになりました。これが由来です。

退院5ヶ月後に農業で独立!

退院後、幼なじみに誘われて農業の世界へ。


最初は、きゅうり農家さんのもとでお世話になりましたが、その後、すぐに友達2人で独立しています。ちなみに上の写真は、実際に僕が野菜を植えていた畑です。


自分たちで作った野菜を直販所とかで売るのは、かなり楽しかったですね。あと、スーパーを片っ端から回って、「野菜を置かせてもらえませんか?」って頼みに行ったこともありました。


今となっては、いい経験です。


ちなみに農業は、失敗に終わりました。理由は、素人すぎたことと僕に適性がなかったことですかね。僕は、虫が大嫌いですし、泥汚れもあまり好きではありません。


「じゃあ、なんで農業を選んだんだ?」って話ですが、きっと当時の僕には、何らかの勝算があったのでしょう。まぁ、過ぎたことですので、水に流すとします。